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2021

OB・OGインタビュー第二弾 下田祐司・下田杏実(2014年度卒・2016年度卒) 篇「勝つ喜びを、このメンバー全員で味わいたいという熱い想いがモチベーションに」(前編)

こんにちは!

4年マネージャーの浅井彩花です!

前回に引き続き、OB.OGインタビューの第二弾は、昨年ご結婚された 下田 祐司さんと下田 杏実さんにお話を伺いました!

是非ご覧ください!




 こんばんは!本日はお忙しいところ、お時間いただきありがとうございます。

本日は宜しくお願いします。


(下田 祐)宜しくお願いします! 今回は、一石二鳥だね! 

(下田 杏)ハハハ!そうだね(笑)


本当ですね(笑)お二人はいつご結婚されたのですか?


(下田 祐) 2年前に結婚して、昨年結婚式をあげました!結婚式には、沢山、オレンジビームスの同期が来てくれて嬉しかったです!




そうなのですね!いつからお付き合いされていたのですか?


(下田 杏) 私が大学1年生、彼が3年生の時に付き合い始めて、約7年の交際期間を経て結婚しました!






7年!? すごい…!素敵です! 

ということで、早速お二人の愛の軌跡を聞いていきたいと思います(笑)



~熱い4年間を過ごしたいという想いからアメフト部へ ~

それでは、まずはお二人が入部された経緯を教えてください!


(下田 祐) 先輩方の熱い勧誘で入部を決めました。高校では、野球部で甲子園を目指して部活漬けの毎日を送っていました。そのため、大学ではゆるくサークルなどに入って遊ぼうかなと思っていました(笑)

そんな想いを胸に、いざ入学すると浮ついた雰囲気が性に合わず、やはり部活に入りたいという気持ちが出てきて…!

アメフト部の練習に行くと、先輩方が真剣に練習に取り組んでいる姿に惹かれて、この部活に入れば、熱い4年間が過ごせるのではないかと思い、入部を決意しました。


なるほど…! それが始まりだったのですね!

杏実さんはどうですか?


(下田 杏) 私も先輩の熱い勧誘で入部を決意しました。

私は高校時代、競技チア部に所属していて、四六時中チアのことを考える高校生活を送っていたので、大学生では華の大学生活を夢見て、サークルか他大学のインカレサークルに入ろうと思っていました(笑)

そこで、アメフト部の先輩の熱い勧誘をうけ、トレーナーという役職があると聞いて、チアで怪我をした時にトレーナーさんにとてもお世話になった経験があり、その経験が活かせるのかなと揺らぎはじめて…。

そして練習を見学した際に、先輩方がオンとオフをしっかり切り替えて、真剣に部活に取り組んでいる姿を目の当たりにして、学生生活最後にもう一度チームで一つの目標に向かって頑張ってみようかなと思い、入部を決意しました。


~不安を乗り越えた先に~

お二人とも先輩方の熱い勧誘が始まりなのですね!

入部して、最初の頃は不安などありましたか?


(下田 祐) 不安しかなかったですね。僕は東日本大震災が起こった年に入学したので、入学式もなく、部活の勧誘活動や講義もいつ始まるかわからない状況で、大学生活への不安はとてもありましたね。


コロナ禍に見舞われた昨年や今年の新入生と同じ状況だったのですね…!


(下田 祐) 同じような状況だったと思います。

またそれに加えて、新しいスポーツを始める不安もありましたね。

でもその不安を乗り越えて4年間部活を続けられた今だからこそ、あの時の選択は間違っていなかったな、自分ナイス!と思えますね(笑)



(下田 杏)  うんうん、そうだよね。

私も部活に入ると、自分の時間が無くなることは高校時代の経験からわかっていたので、とても不安でした。でも、新入生歓迎会で部員の人たちが話しかけてくれて、不安を解消してくれたのは心強かったですね!


~アメフトは選手・スタッフ、誰もが活躍できるスポーツ~

杏実さんは、マネージャーという選択肢は考えず、最初からトレーナー志望だったのですか?


(下田 杏) そうですね!他の部活はマネージャーもトレーナーも区別がなく『スタッフ』という一つの枠にくくられてしまうけれど、アメフト部はトレーナーという役職で、業務を特化できるところがとても魅力的でした。


(下田 祐) アメフト部は、誰もが活躍できるフィールドがあるところが一番の魅力だと思います。選手の目線で言うと、アメフトというスポーツの特性上自分の長所を活かしながら、苦手なところはチームみんなでカバーし合うことが非常に大事ですし、スタッフの目線で言うとマネージャー・トレーナーの中にも様々な役割があって自分の適性を活かして活躍できるので、新しく始めるスポーツにはとても良いと思います!


うまく話をまとめてくださり、ありがとうございます!(笑)


~勝つ喜びを、このメンバーで味わいたい~

4年間の中で一番大変だったことって何ですか?


(下田 祐) 2年時のシーズンに3部に降格してしまい、4年時に2部に再チャレンジした時に思い出したくもないほど厳しいトレーニングを行いました。

でも、そのトレーニングのおかげで、自分たちが予想もしていなかったくらい強く成長することができたし、結果として昇格することができたので、最終的には努力が実を結んだ思い出に残る年になりましたね。




きついトレーニングは、例えばどのようなメニューだったのですか?


(下田 祐)とにかく走りまくりました。

 降格した年はチームとしての走り込みが足りなく、プレーのスピードが課題で試合に負けてしまうことが多かったので、動ける体を作るためにめちゃくちゃ走っていましたね(笑)

練習後に4000ヤードシャトルを毎日行ったり、テスト期間も練習を行いました。


練習終えた後に4000ヤードですか!?

とてもハードなメニューですね…。


(下田 祐) そうですね、2部でもここまで走っているチームはないだろうという自信はありましたね(笑)

でも、きついトレーニングを経て自分たちの成長を感じながら結果を残せたことは、とても嬉しかったですし、一回挫折を味わったことで試合に出る選手たちは、怪我をしている選手やスタッフの想いを背負って戦うんだという当事者意識も生まれて、チーム一丸となって戦えた一年になりましたね


何がモチベーションとなって、とてもきついトレーニングを乗り越えられたのですか?


(下田 祐) やはり、勝ち負けが決まるなら勝利を掴みとりたいし、勝った喜びをこのメンバー全員で味わいたいという気持ちがモチベーションになりました。




(下田 杏) 私も、この年でどうにか結果を出して、笑って引退を迎えてもらいたいという想いはありましたね!


チームへの熱い気持ちがとても伝わってきました。ありがとうございます!

杏実さんは4年間の中で一番困難だったことはなんですか?


(下田 杏) 選手のテーピングなのですが、選手の足の形やテーピングの好みがそれぞれ違うので、教わった通りに巻いただけじゃ選手は満足してくれなかったんです。自分が巻いた選手がそのすぐ後に他のトレーナーに巻きなおしてもらっているときは、「私の巻き方じゃダメだったのだな」と落ち込むことはありました。

その経験から、選手から頼ってもらえるトレーナーになりたいと思い、先輩にコツを聞いたり、選手に協力してもらって何度も何度もテーピングの練習をしました。そうしたら次第に選手ごとの特徴や好みも理解することができて、少しずつ信頼を得ることができました。選手から「杏実ちゃん巻いてー」って頼ってもらえた時はとても嬉しかったですね!

あと、私は関東学連のスタッフも兼務していたので、チームにいる時間が減ってしまうことが自分的にはとても悲しかったですね…。




関東学連のスタッフのメンバーは、シーズン中の土日は朝早くから毎回他大学の試合の運営に携わらなければいけないですよね?


(下田 杏) そうなんです、もっと選手と密にコミュニケーションを取ったり、トレーナーとしての技術を上げたいという想いから、連盟スタッフとの両立は4年間悩みました。

また本当に朝が早くて、始発の電車に乗らなければならなかったり、前泊することもありました。

しかし、チームの中でも他大学の方とコミュニケーションを取ることができる唯一ポジションだったので、一部のチームの練習の状況などをチームに共有して奮い立たせていましたね(笑)また自分の働きを評価され、連盟では、総務部長を任せてもらえて、とても良い経験になりました!




お二人とも今日はご貴重なお話をありがとうございました!

次回は社会人でのご活躍をお伺いしたいと思います。


~ プロフィール ~

下田祐司 2014年卒

神奈川県相模原市出身

桜美林高等学校から成城大学に進学

高校時は野球部に所属、ポジションは投手、西東京大会ベスト8

大学からアメリカンフットボールを始める

QBとしてチームを牽引し、4年時は副将を務める



下田杏実 2016年卒

東京都日野市出身

都立国立高校から成城大学に進学

高校時は競技チアリーディング部に所属しハイトップを務める

怪我の経験からトレーナーとしてアメリカンフットボール部に入部

4年時には関東学生アメリカンフットボール連盟の副委員長務める



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